エコノミック・ステイトクラフト としてのIPEF

藤木剛康氏
経済学部准教授, 和歌山大学

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※本稿は、2024年3月2日に東京で開催されたNEXTアライアンス会議のワークショップで筆者が行った発表に基づくものである。藤木剛康氏は個人的な立場で本稿を執筆した。その見解および解釈は、あくまでも筆者個人のものである。

  1. はじめに

ポスト冷戦、あるいはニクソン・ショック以来の経済グローバル化と対中関与の時代が終わった。トランプ政権後のアメリカの通商政策の理念は貿易自由化の推進から経済安全保障の強化へと大きく転換しつつあり、これまでのGATT・WTOが体現していた「経済的相互依存による平和の促進」「安全保障の利益と経済の利益は相互補完的」「安全保障問題と経済問題の切り離し」「高次元の政治と低次元の政治」という戦後国際経済秩序の前提も覆されつつある。我々は、安全保障の論理と経済の論理とが深く絡み合い、部分的にはトレードオフの関係にある新しい世界の出現に直面し、それへの対応を迫られている。[1]

以上の認識に基づき、本稿は、第一に、これまでの「自由貿易の世界」と「経済安全保障の世界」とを対比し、これからの通商政策、とりわけサプライチェーン政策を構想する上での理論的前提を整理した上で、第二に、IPEFのサプライチェーン協定を一つの事例として、若干の問題提起を行う。

  1. 「自由貿易の世界」と「経済安全保障の世界」

以下の表は「貿易自由化の世界」と「経済安全保障の世界」とを理念的に対比したものである。

[表]「自由貿易の世界」と「経済安全保障の世界」

(出所)久野[2022][2]、藤木[2022][3]、Baldwin[2020][4]をもとに著者作成。

2つの世界の違いについて、「自由貿易の世界」のTPP、「経済安全保障の世界」のIPEFを事例に考えてみよう。TPPは、環太平洋地域に属する国々を対象に、自由貿易と経済的繁栄を実現するための多国間協定だった。オバマ政権末期においては中国との「経済ルールをめぐる競争」が意識されていたが、そうした地経学的目的は概ね後景に退いており、政策の意図や内容、パワー基盤、すなわち、各国の関税引き下げ率や法律・規制の整備・調和、期待される市場アクセス規模などに関心が集中した。

これに対し、「経済安全保障の世界」では、通商協定は単なる経済的手段ではなく、エコノミック・ステイトクラフトとしての性格を持つようになる。ボールドウィンによれば、エコノミック・ステイトクラフトとは経済的資源を用いて影響力を行使する試みであり、複数の政策分野をまたいで機能し、複数の目的や対象を持つ関係的なパワーである。[5] [6]

したがって、IPEF、とりわけそのサプライチェーン協定(SCA)も単に経済的利益の実現をめざした協定ではなく、安全保障や外交、経済といった複数の次元で機能する関係的な概念、つまりエコノミック・ステイトクラフトとして検討されるべきである。他方、ボールドウィンは、エコノミック・ステイトクラフトの活用に際しては、政策の代替可能性や反実仮想条件のコストと利益とを比較する必要があると述べている。したがって、SCAの検討に際しても、相反する政策目標や補完的な政策手段を比較考量しつつ、適切な政策手段の割り当てを考えていく必要がある。

では、SCAは何をなすべきであり、何をなすべきではないのだろうか。SCAにはどのような政策目標や政策手段を含めるべきなのか、また、それらの間にはどのような関係を設定すべきなのだろうか。

 

  1. IPEFサプライチェーン協定の検討

SCAとは、有志国との平時・緊急時のサプライチェーンを強靭化し、サプライチェーンの途絶時における具体的な連携手続を規定する初の多数国間協定であり、①各国が自国の重要分野や重要物品を特定し、それらの強靭性と競争力を向上させるための行動計画を策定するIPEFサプライチェーン理事会、②緊急時における連絡経路として機能するIPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク、③各国の政労使代表から構成されるIPEF労働者権利諮問委員会という3つの機関を設置することになっている。[7]

これら3機関はこれから設置されるため、現時点で具体的な問題点を指摘することはできないが、以下では3点、現時点で考えておくべき論点を挙げておきたい。[8]

第一に、SCAにとって、トランプ2.0はどのような機会とリスクをもたらすのか、という問題である。すでにトランプは「IPEFを叩きつぶす」「アメリカの半導体ビジネスは台湾に盗まれた」といった懸念される発言をしている。これらは現時点では大統領選向けのレトリックとみるべきであろうが、支持者の反応次第で実際のアジェンダになる可能性も否定できない。IPEFには少なくとも3年間は脱退できない規定があるが、市場アクセス規定のないIPEFをめぐってすらこれほど大きな党派的対立がある中で、IPEFやSCAにはいかなる目的や政策手段が与えられるべきなのだろうか。トランプ2.0が許容しうるIPEFやSCAは考えられるだろうか。他方、トランプ1.0においては、トランプやライトハイザーらの強力なリーダーシップによって通商政策や対中政策の劇的な転換がもたらされた。「予測できない関税男」であるトランプと二国間での均衡貿易の実現をめざすライトハイザーにとって、通商政策の優先目標や手段は二国間での関税交渉を通じて貿易赤字の削減を進めることにあり、第1期での対中ハイテク規制のようにトランプの関心が少ない場合、トランプの生み出した政治的環境を背景に官僚機構によって合理的な政策が迅速に進められることもあった。[9] [10] [11]ただし、サプライチェーンについてはフレンド・ショアリングではなくリショアリングを強く志向するであろう。この問題について、例えばSCAの場で各国間の利害調整や各国半導体産業間でのすみ分けを議論できるだろうか。また、仮に将来「アメリカ抜きのIPEF」となった場合、日本政府はトランプ1.0脱退後のTPPのように、IPEFをリードしていく用意はあるのだろうか。その際の課題や論点は何か。

第二に、対中デリスキングやフレンド・ショアリング、すなわち中国抜きでのサプライチェーン構築を優先するアメリカと、米中双方の投資を誘致したいASEANやインドとの立場の違いは、SCAにはどのように影響するのだろうか。[12] [13]また、どのように反映されるべきだろうか。そもそも、フレンド・ショアリングは規範や価値観の合致する国々で進める戦略的取り組みであるべきか、貿易や投資の拡大を通じて外交関係を深化させる手段であるべきなのか。[14] 半導体サプライチェーンにおける「フレンド」の範囲や資格はどのように考えるべきか。また、インド太平洋地域においてはIPEFのSCA以外にも、CHIP4、Quad半導体サプライチェーン・イニシアティブ、日豪印サプライチェーン強靭化イニシアティブ、米・マレーシア半導体サプライチェーン強靭化覚書、米印半導体サプライチェーンとイノベーションパートナーシップ覚書など多数の少数国連携の取り組みが存在している。IPEFのSCAは、これらの中でどのように位置づけられ、他の取り組みとどのような補完的な関係を構築すればいいのか。そもそも、それぞれの取り組みにはどのような意義や違いがあるのか。さらに、関係各国と台湾との半導体サプライチェーンの強化や、SCAと米台イニシアティブとの連携は考えられないだろうか。

第三に、今後予想される中国製レガシーチップの過剰生産にどのように対処すべきであろうか。中国の半導体産業は、2020年10月の対中半導体規制によって最先端チップの開発や製造は極めて困難となったが、むしろ市場規模の大きなレガシーチップに巨額の投資を行い、半導体の自給化を実現しようとしている。[15] [16] [17]SCAではサプライチェーンの途絶や脆弱性への対応については想定されているが、逆に、過剰生産や大量輸出の脅威への対応は考えられているのだろうか。ASEAN諸国やインドでも育成されつつある半導体産業にとって、中国製レガシーチップの輸出は脅威となるのか。こうした問題に対し、考えておくべき目的や手段は何か。アメリカは一国で規制する方向で動いているようだが、IPEFで対応する準備はあるのか。例えば、あえてASEANやインドでのレガシーチップ生産を支援し、中国に対してIPEF諸国が足並みをそろえられるようにしておくことに意味はあるのか。

The US-Japan NEXT Alliance Initiative is a forum for bilateral dialogue, networking, and the development of joint recommendations involving a wide range of policy and technical specialists (in and out of government) to stimulate new alliance connections across foreign, security, and technology policy areas. Established by Sasakawa Peace Foundation USA with support from the Nippon Foundation, the goal is to help improve the alliance and how it serves shared interests, preparing it for emerging challenges within an increasingly complex and dynamic geostrategic environment. Launched in 2021, the Initiative includes two overlapping lines of effort: 1) Foreign & Security Policy, and 2) Technology & Innovation Connections. The Initiative is led by Sr. Director Jim Schoff.

[1] 久野新[2022]「貿易投資政策と経済安全保障の新たな相剋①グローバリゼーションと経済安全保障の均衡点とその行方」 『貿易と関税』

[2] 久野新[2022]「貿易投資政策と経済安全保障の新たな相剋①グローバリゼーションと経済安全保障の均衡点とその行方」 『貿易と関税』

[3] 藤木剛康[2022]「米中大国間競争とアメリカの通商政策――米中デカップリング論を越えて」『国際経済』74

[4] David A. Baldwin[2020]Economic Statecraft, New Edition, 2020

[5] David A. Baldwin[2013]“Power and International Relations,” Walter Carlsnaes,

Thomas Risse and Beth A. Simmons eds., Handbook of International Relations, Second Edition

[6] David A. Baldwin[2020]Economic Statecraft, New Edition, 2020

[7] 外務省・経産省[2024]「IPEF(インド太平洋経済枠組み)サプライチェーン協定(概要)」

[8] 高橋俊樹[2024]「TPP同様に日本がIPEFを取り込む通商戦略は可能か」①②③『コラム』125~127、国際貿易投資研究所

[9] Robert Lighthizer[2023]No Trade Is Free: Changing Course, Taking on China and Helping American Workers

[10] 佐橋亮[2021]『米中対立――アメリカの戦略転換と分断される世界』中公新書

[11] 藤木剛康[2020]「トランプ政権の通商政策――コンセンサスの破壊と無秩序状態の政策プロセス」『国際経済』71

[12] 椎野幸平 [2023]「インド太平洋枠組み(IPEF)へのインド・東南アジア諸国の対応――デジタル、労働。サプライチェーンの課題」『海外事情』3・4月号

[13] 野木森稔[2023]「供給網強化としてのフレンド・ショアリングの動向と日本企業への影響」日本総研

[14] Inu Manak and Manjari Chatterjee Miller[October 25, 2023]“Friendshoring’s Devil is in the Details,” Council on Foreign Relations

[15] 三浦有史[2023]「中国半導体産業の行方――デカップリングと自給戦略の成否」『環太平洋ビジネス情報 RIM』23:89、2023年

[16] Megan Hogan[2023]“Export Controls Are only a Short-Term Solution to China’s Chip Progress,” War on the Rocks, December 22

[17] Sujai Shivakumar, Charles Wessner and Thomas Howell[2023]”The Strategic Importance of Legacy Chips,” Center for Strategic & International Studies

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